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ともにつくるケアノート— あなたらしさを支える訪問看護のかたち —

株式会社OUR代表・中田富久は、どんな人間なのか?

僕の経歴、ちょっと変わってるってよく言われるんですよね(笑)。

株式会社OURの代表、中田富久です。
普段、なかなか自分のことを話す機会もないので、今日は少しだけ、僕という人間がどうやってここまできたのか、そして何を考えているのかをお話ししようと思います。

朝は5時半起き。目覚ましなんて使いませんw

僕の朝はだいたい5時半ぐらいに始まります。
目覚ましを使わないで起きれるんですよ、なぜか(笑)。

起きたらまずスマホで社内チャットやメールをチェックして、6時ぐらいに布団から出ます。
それから洗濯機を回して、その間に朝食の準備なんかをしたりもしますね。
6時半ぐらいになると双子の子供たちが起きてくるので、一緒にご飯を食べます。子供は今11歳の男の子たちです。
食べ終わったら洗濯を干して、7時半ぐらいに家を出る。

これが僕の毎朝のルーティンですね。
ちなみに朝食は妻(OURの管理者でもあります)が作ってくれたものを食べることが多いです。
最近は体型が気になるので、「食事も仕事の一つ」と思って改善しないといけないなーとは思ってるんですけどね。

月200時間近い残業の工場勤務から、医療の世界へ

最初から医療の道にいたわけじゃないんです。
実は高校(工業高校でした)を卒業して、トラックの製造工場で10年近く働いていました。

これがもう、大変な肉体労働で。
繁忙期には残業が200時間近くにもなることがありましたw
職人気質な人ばかりで、言葉より手足が先に出るような職場で……心身ともに鍛えられましたね。

当時の僕は、トラックの組み立てラインで毎日汗を流していました。
重い部品を運んだり、溶接したり、とにかく体を使う仕事。
夏は暑くて、冬は寒い。でも、ものづくりの現場には独特の達成感があったんです。

先輩たちは本当に「職人」でした。
技術は確かだけど、言葉で教えるっていうより「見て覚えろ」「体で覚えろ」って感じ。
時には本気で怒られることもありましたけど、それが当たり前の世界だったんですよね。

でも、30代、40代になった先輩方の姿を見ていると「長く続けられる仕事ではないな」と感じるようになりました。
体が資本の仕事だから、年齢を重ねるごとに厳しくなっていく。
「このままでいいのかな」って、ふと立ち止まって考えたんです。

昼は工場、夜は学校の4年間

そんな時に、これからの高齢化社会で必要とされる「リハビリ」という仕事を知りました。
人の役に立てて、しかも一生続けられる仕事。
「これだ!」と思ったんですよね。

でも、いきなり仕事を辞めるわけにもいかない。
生活もあるし、学費も必要だし。
だから、昼は工場で働いて、夜は作業療法士の専門学校に通うという生活を始めました。

朝6時に起きて、工場で夕方まで働いて、そこから学校へ直行。
授業が終わるのは夜の10時過ぎ。帰宅して夕飯食べて、宿題やって、寝るのは深夜1時とか2時。
土日も実習やレポートに追われる日々。
正直、めちゃくちゃきつかったです(笑)。

何が支えだったかって?
いやぁ、支えも何も「根性」で乗り越えるしか選択肢がなかったので、がむしゃらでしたね。
「ここで諦めたら、また元の生活に戻るだけだ」って自分に言い聞かせて。

特に実習がきつかったです。
普通の学生よりも年上で、社会人経験もあるってことで、指導者の先生方からの期待も大きかったんだと思います。
「社会人経験があるんだから、これくらいできて当然でしょ」みたいな感じで(笑)。
でも、今思えばその厳しさが自分を鍛えてくれたんだと感謝しています。

「気になりすぎて」勝手にアポを取った新人時代

4年間の苦労が実って、無事に作業療法士の国家試験に合格。
総合病院の急性期病棟に配属されました。
脳外科、神経内科、整形外科、呼吸器内科、ICU、SCU……いろんな科を担当させてもらいました。

一番初めに担当した患者さんのことは、今でも鮮明に覚えています。
手首の骨折(橈骨遠位端骨折)で入院されていた、70代の女性でした。

リハビリ室では順調に回復していて、「もう大丈夫ですね」って退院したんです。
でも、ふと「あの方、家ではちゃんと生活できてるのかな?」って気になっちゃって。
ご家族に連絡して、「ちょっと様子を見させてください」って勝手にアポ取って訪問しちゃいました。皆さんは真似しないでください(笑)。

そしたら案の定、困っていることがたくさんあったんです。
包丁が使いにくい、洗濯物が干しにくい、お風呂に入るのが怖い……
病院のリハビリ室では「手が動くようになったからOK」って思ってたけど、実際の生活には別の困りごとがある。
「病院では、そこまでしっかり考えられなかったな」って、すごく反省しました。

病院の中だけでは見えない「暮らし」があるんですよね。
この経験が、今のOURの根底にあるのかもしれません。

運命を変えた、ある患者さんとの出会い

妻(当時は同じ病棟の看護師でした)と一緒に担当した、頸髄損傷の方のことも忘れられません。
80代の男性で、事故で首を損傷して、首から下は全く動かなくなってしまったんです。

普通なら施設への入所を考えるケースだったんですが、ご家族が「自宅で介護したい」と強く希望されました。
高齢の奥様と、まだ学生のお孫さんが1人。
正直、「大丈夫かな……」って思いました。

でも、ご家族の「一緒に暮らしたい」という想いは本物だったんです。
だから僕たちも、できる限りのサポートをしようと決めました。

自宅の間取りを確認して、ベッドの配置を考えて、トイレや入浴の方法を検討して。
介護用品のレンタル業者さんと打ち合わせして、訪問看護やヘルパーさんの調整もして。
1日24時間365日、どう回していくか、奥様の負担をどう減らすか。
同僚と夜遅くまで話し合ったりもしましたね。

退院の日、ご自宅に送り届けた時のことを今でも覚えています。
患者さんが「家に帰れた」って涙を流されて、奥様も泣いていて。
僕たちも、なんかグッときちゃいました。

「病院から在宅へつなぐことの大切さと難しさ」を、肌で感じた経験でした。
そして、「在宅で支えることができたら、こんなにも人の人生に寄り添えるんだ」って実感しました。またここでもその後の様子が気になり過ぎてお伺いしたのは内緒です(笑)。

大学教員を経て、再び「現場」へ

病院で10年以上働いた後、リハビリ医のすすめもあって大学院へ進学しました。
研究テーマは「脳卒中の方の自動車運転リハビリ」。

脳卒中になると、運転をやめざるを得なくなる方が多いんです。
でも、地方で車がないと生活できない。仕事にも行けない。
「なんとか安全に運転を再開できないか?」って研究していました。

面白かったのは、患者さん自身が「自分の運転技能をどれだけ正しく認識しているか」を調べたことです。
実際に運転してもらって、その様子をビデオで見せたり、データで示したりすると、「え、自分ってこんな運転してたの?」って驚かれることが多くて。
客観的なフィードバックって、すごく大事なんだなって実感しました。

学生と挑んだ国家試験

大学院を修了して、大学教員になりました。
教育の現場に立つのは初めてだったんですが、これがまた新鮮で。

一番の思い出は、学生たちと国家試験に挑んだことですね。
僕が対策担当だったんですが、毎日遅くまで学生と一緒に勉強しました。
模擬試験を作ったり、苦手分野を個別指導したり。

結果、その年は過去1の合格率だったそうです(ちょっと自慢ですw)。
学生たちが合格の報告に来てくれた時、本当に嬉しかったですね。
「先生のおかげです」って言われて、教員やっててよかったなって思いました。

心の中にあった「現場への想い」

でも、心の中ではずっと「また現場に戻りたい」と思っていました。
教育も研究も楽しいんだけど、やっぱり直接患者さんと関わる現場の仕事が好きだったんです。

病院に入った時から「いつか自分の名前じゃなくて、組織の名前で勝負できる人間になりたい」って思ってました。
だから、教員時代も「いつかまた、現場に戻る」って心に決めていたんです。

教員になって3年目、大学の異動の話が出ました。
でも、家族のこともあったし、地元の宮崎に残りたいという気持ちもあった。
そして何より、看護師である妻と一緒にできる仕事がしたかった。

いろんなタイミングが重なって、「起業しよう」と決断しました。
その時、確か40歳くらいだったかな。
「今やらなかったら、一生後悔する」って思ったんです。

開設1年半前に物件契約して、自腹で家賃w

起業を決めて最初にしたのは、SNSでの情報収集です。
訪問看護をやってる人、経営者、医療関係者……手当たり次第フォローしてDMしてました。
「教えてください!」「相談に乗ってください!」って(笑)。

一番不安だったのは、資金調達でしたね。
「どうやって借りたらいいのか全くわからない」って状態で、毎日ググってました。
日本政策金融公庫とか、創業融資とか、初めて聞く言葉ばかりで(笑)。

でも、周りの方々が本当に親切に教えてくださって。
事業計画書の書き方から、面談の受け方まで、一つ一つ教えていただきました。
今思えば、あの時の「わからないから聞く」っていう姿勢が、今につながってるのかなって思います。

運命の物件との出会い

今の事務所の物件、実は開設の1年半も前に借りたんですよw

ネットで物件を探してたら、めちゃくちゃ好立地で、しかも家賃が安い物件を見つけて。
「これは絶対に逃したくない!」って思って、見つけたその日に電話しました。
不動産屋さんに「今から見に行けますか?」って(笑)。

実際に見に行ったら、やっぱり良かったんです。
駐車場もあるし、広さも十分。アクセスもいい。
その場で「借ります!」って即決しました。

ただ問題は、まだ開設まで1年半もあったこと(笑)。
当然、その間も家賃は発生します。
妻に「大丈夫なの?」って心配されましたけど、「絶対この物件がいい!」って押し切りました。
結果、1年半、自腹で家賃払い続けましたよ(笑)。今思うと、よくやったなって思います。

DIYはお金がなかったから

妻が呆れてますね(笑)

物件は借りた。でも、内装工事にお金をかける余裕はない。
どうしようかなって考えた結果、「自分でやろう」と。

事務所の内装、僕の手作りなんです。
「DIYが得意なんですね」ってよく言われるんですけど、いや、得意とかじゃなくて、単純にお金がなかったからです(笑)

設計だけは格安でプロにお願いしました。
「こういう雰囲気にしたいんです」って伝えて、図面を引いてもらって。
あとは、その図面を持ってホームセンターへ。

木材、ネジ、工具、塗料……必要なものを全部揃えて、週末は事務所でDIY。
壁を作って、床を張って、カウンターを作って。
正直、めっちゃ大変でしたけど、少しずつ形になっていくのが楽しくて。

気づいたら、ホームセンターの従業員さんと顔なじみになってました(笑)。
「今日は何作るんですか?」って話しかけられるくらい、通い詰めてましたね。
一度、お客さんに「すみません、これどこにありますか?」って聞かれて、「あ、僕、店員じゃないんですけど……」ってなったこともあります(笑)。

でも、自分の手で作った空間だからこそ、愛着があるんですよね。
今でも、事務所の木の温もりを感じるたびに「頑張って作ってよかったな」って思います。

完成後の今の事務所

完成後の現在の事務所

「人生が180度変わった」

そんなふうにして、2022年に「OUR訪問看護ステーション」を開設しました。
最初は本当に何もかもが手探りでしたね。

開設したからといって、すぐに利用者さんが来るわけじゃない。
だから、ケアマネージャーさんや病院、クリニックを一軒一軒訪問して、「OURです。よろしくお願いします」って挨拶してまわりました。

最初の利用者さんが決まったのは、そんな挨拶まわりの時でした。
あるケアマネージャーさんから「実は、困ってる方がいて……」って相談されたんです。

最初の利用者さんとの出会い

その方は、いろいろ大変な背景をお持ちの方でした。
精神疾患もあって、身体的な問題もあって、生活も不安定で。
他の事業所さんには断られてしまったそうです。

でも、僕たちに断る選択肢なんて全くなかったんですよね。
「困ってる方がいるなら、できることをやろう」って、即OKしました。

最初は、信頼関係を築くのに時間がかかりました。
訪問しても、玄関を開けてもらえないこともあったし、話を聞いてもらえないこともあった。
でも、焦らず、少しずつ。「まずは信頼してもらうこと」を大事にしました。

何度も何度も訪問して、話を聞いて、一緒に考えて。
少しずつ、その方の表情が変わっていくのがわかりました。
生活も少しずつ安定してきて、笑顔も増えてきて。

ある日、その方が言ってくれたんです。
「あなたたちと会って、人生が180度変わった」って。

その言葉を聞いた時、涙が出そうになりました。
「ああ、この仕事をやってよかった」って、心の底から思いました。
今でも、その方とは進行形でお付き合いが続いています。

「成功」って何だろう?

開設から3年が経って、売上も2倍になって、スタッフも増えました。
数字だけ見れば「成長してる」って言えるのかもしれません。

でも正直、「売上が上がって嬉しい」という感覚は全くないんですよね。
もちろん、経営が安定するのは大事です。スタッフの給料を払わないといけないし、事業を続けるためにはお金も必要。
でも、それが目的じゃないんです。

僕にとっての成功は、関わる全ての人が、私たちに関わることで「わたしらしさ」に近づき、それを感じてもらえている瞬間なんです。
利用者さんが笑顔になる瞬間、スタッフが「この仕事やってよかった」って言ってくれる瞬間。
それが、僕にとっての「成功」です。

妻と一緒に働くということ

OURは、妻と二人で始めた会社です。
妻は看護師で、今はOURの管理者として一緒に働いています。

夫婦で仕事をするのって、良いこともあれば大変なこともありますよね(笑)。
良いところは、やっぱり一緒にいる時間が長く取れること。
同じ目標に向かって、一緒に頑張れること。
何か困ったことがあっても、すぐに相談できること。

でも、これがいいところでもあり、悪いところでもあったりするんですよねw
仕事の話が家でも続いちゃったり、意見が合わなくて喧嘩になったり……まあ、そういうこともあります(笑)。
悪い時のことは、ここでは控えておきますw

それでも、妻と一緒にOURをやってこれたのは、本当に良かったなって思っています。
一人じゃできなかったことが、二人ならできる。
お互いに支え合いながら、ここまでこれました。

双子の息子たちとの日常

愛犬こたろうも一緒に

家では、11歳の双子の息子たちがいます。
妻の穏やかなDNAを引継ぎまったく手の掛らない息子です。私に似なくてホントに良かったと思います(笑)

休日は、大概僕が二人を連れまわしてます。
海に行ったり、公園に行ったり、ドライブに行ったり。
子供たちは「またー?」って言いながらも、ついてきてくれます(笑)。

11歳って、もうだんだん親から離れていく年齢じゃないですか。
だから、今のうちに一緒に色々なところに行って、たくさん思い出を作りたいなって思ってます。
あと何年、一緒に出かけてくれるかなー(笑)。

僕の哲学と、これからのOUR

プライベートの話をもう少し。
僕は高校時代からずっとバイクに乗ってます。

最初はスポーツタイプの原チャリから始まって、次は単気筒の中型バイク。
子供ができてしばらく乗ってなかったんですが、最近また復活して、今は僕とほぼ同じ歳の大型バイクを持っています。
年代物ですけど、愛着がありますね。

バイクのいいところは、ダイレクトに応えてくれるところです。
アクセルを開ければ加速するし、ブレーキをかければ止まる。
嘘つかないんですよね。

この感覚って、仕事や人間関係でも大事にしてることかもしれません。
「嘘をつかない」「ダイレクトに向き合う」。
回り道せずに、まっすぐに。

休みが取れたら、ツーリングにも行きたいですね。
古ーいバイクで、のんびり走る。それだけでリフレッシュできる気がします。
あと、家族で旅行にも行きたいです。まだまだやりたいことがたくさんありますね。

スタッフとの関係、そしてOURの文化

OURのスタッフは、今は看護師6名、リハビリスタッフ3名の計9名。
みんな個性豊かで、それぞれに強みがあって、本当にいいチームだなって思っています。

僕が大事にしてるのは、スタッフみんなとフラットな関係でいることです。
上下関係じゃなくて、チームとして。
まあ、妻にはそうはいきませんがw(家では立場が逆転することもありますw)

最近、スタッフから言われて一番嬉しかった言葉は、「ここで最後まで働きたいです」って言葉でした。
これ以上の褒め言葉はないですよね。
「OURで働けてよかった」って思ってもらえるように、これからも頑張りたいなって思います。

悩みはあまりないけど、課題はある

僕、実はあまり悩まないタイプなんです(笑)。
悩んでもしょうがないっていうか、「次にどうするか」を考えるほうが大事だと思ってて。

でも、課題はありますよ。
今のOURは、まだまだ現場レベルで「僕がいないと」っていう部分があります。
これは解決していかないといけない課題ですね。
スタッフ一人ひとりがもっと力を発揮できるように、組織として成長していきたいです。

「こうなったらいいな」っていうのは、OURという会社で、みんなが幸せであればそれでOKです。
利用者さんも、スタッフも、家族も、みんなが「わたしらしく」いられる場所。
それがOURの目指す姿です。

「わたしらしさ」をともにつくる

これからOURで一緒に働く仲間に伝えたいことは一つです。

「私らしさとは何か」を深く深く考えてほしい。
そして、それを実現するにはOURでどうしたらいいのかを考えて、
それをどんどん実行してほしい。

株式会社OURの理念は「あなたらしさをともにつくる」。
これは利用者さんだけじゃなく、スタッフのみんなにとっても同じです。
一緒に考えて、一緒に作っていく。それがOURのやり方です。

10代20代の自分に伝えたいこと

もし今の10代、20代の自分にアドバイスできるとしたら、何を伝えるか。
それは、
「とにかくなんでもたくさん経験して、たくさんの人と触れ合うこと」
これに尽きます。

僕自身、工場で働いたり、学校に通いながら勉強したり、病院で患者さんと関わったり、研究したり、教育したり……いろんな経験をしてきました。
その一つひとつが、今の自分を作ってるんだと思います。

失敗してもいいんです。むしろ、失敗したほうが学びが大きい。
大事なのは「次にどうするか」。
立ち止まらずに、前を向いて進むこと。

読者へのメッセージ、そして10年後の自分

読者の方へのメッセージですか?
うーん、参考にしないでくださいw

僕のやり方が正解だとは思ってないんです。
みんな、それぞれの「わたしらしさ」があって、それぞれの人生がある。
だから、僕の話はあくまで「一つの例」として聞いてもらえたら嬉しいです。
自分の道は、自分で決めてください。

10年後の自分が何をしてるか?
正直、全くわかりません(笑)。
今の時代、数年先も予測できないですから。

でも、それでいいんだと思います。
予測できないからこそ、面白い。
その時代を、その瞬間を、思いっきり楽しんでいられたらいいですね。

OURも、きっと今とは違う形になってるかもしれない。
でも、「あなたらしさをともにつくる」という理念だけは、変わらずに持ち続けていたいと思います。

最後に

長々と自分のことを書いてきましたが、いかがでしたでしょうか?
「こんな人間がやってる会社なんだな」って、少しでも伝わったら嬉しいです。

OURは、まだまだ小さな会社です。
大きな組織のような安定感もないし、完璧なシステムがあるわけでもない。
でも、だからこそ、一人ひとりの声が届く場所だと思っています。

「一緒にOURをつくる仲間」を、僕たちは待っています。
利用者さんの「わたしらしさ」を、スタッフの「わたしらしさ」を、
そして、みんなの「わたしたちのOUR」を。
一緒につくっていきましょう。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
もし興味を持っていただけたら、ぜひ一度お話ししましょう。
見学でも、カジュアル面談でも、大歓迎です。

中田 富久

OURについてもっと知りたい方はこちら

▼ 公式ホームページ

▼ Instagram (@our_miyazaki)

見学・カジュアル面談も随時受付中です!
お気軽にお問い合わせください。

文:中田 富久(株式会社OUR 代表取締役 / 認定作業療法士)

1979年代生まれ、宮崎市出身。工業高校卒業後、トラック製造工場で約10年勤務。
昼は工場、夜は専門学校で4年間学び、作業療法士資格を取得。
総合病院での臨床経験、大学院での研究、大学教員を経て、2022年に株式会社OURを設立。
妻(看護師)と二人三脚で、宮崎の地で訪問看護事業を展開中。
双子の息子(11歳)の父。